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小川工務店 代表取締役 小川 寛

小川工務店 代表取締役 小川 寛

プロフィール

建築設計事務所勤務(東京)後、昭和57年、小川工務店に入社。
その後、青年海外協力隊として東アフリカ ケニア共和国 首都ナイロビより北西320k エチオピア、ウガンダ国境近くのエルドレット市役所勤務。3年間診療所、小学校建設に携わり、平成元年より小川工務店に復職。
平成7年より代表取締役。


「We are the world」に影響を受けて

すべては「We are the world」から始まった

私は20代の頃、青年海外協力隊としてアフリカへ渡り、ケニア共和国やエチオピア、ウガンダなどで診療所や小学校の建設に携わりました。皆さんご存じのようにアフリカは世界のなかでもとても貧しい地域のひとつです。私が渡航する数年前には、アフリカの貧困にあえぐ人たちを助けようとアメリカの有名なアーティストが集結したチャリティソング「We are the world.」が歌われました。当時、私はアフリカについて何も知りませんでした。しかし、あの歌によって悲惨なアフリカの現状を知り、居ても立ってもいられなくなりアフリカ行きを決意したのです。


使命感に燃えて…目指すはケニア、エルドレッド

父の強い反対に遭いながらも海外青年協力隊に応募。そして派遣国がケニアに決まりました。3年間という期限のなかで、自分ができる限りの貢献をしたい、そんな使命感に燃えて旅立ちました。

私の派遣先はケニアの首都ナイロビより北西に約320km離れたエルドレッド市の市役所。エチオピア、ウガンダ国境に近い、ケニアでは4番目に大きい都市でした。

「We are the world.」で悲惨な現状がクローズアップはされていましたが、人口も20万人程度抱える都市です。市街には近代的とまでは言えないながらもコンクリートのビルもある町だということを渡航前のオリエンテーションである程度知っていました。そのためちょっと楽観的に考えていたのかもしれません。

使命感に燃えて…目指すはケニア、エルドレッド

アフリカ時間に身を任せ忍耐強く、忍耐強く…

アフリカ時間に身を任せ忍耐強く、忍耐強く…

私の任務は主に診療所や小学校の建設でした。

基本設計を行い、模型を制作し市長にプレゼンテーションし、承認をいただいてから建設に着手しました。もちろん設計段階で現地の状況を十分に考慮しながら行ったつもりでしたが、なかなか工期通りには進みません。アフリカの時間は日本に比べゆったりと流れているというと聞こえはよいですが、日本人ほどスピーディーに進まないのです。

こればかりは「郷に入れば郷に従え」で忍耐強く進めたのを懐かしく思い出します。


あっという間の3年間。
仕事以外にもアフリカを満喫

使命感に燃えて赴任したとはいえ、仕事ばかりに没頭していたわけではありません。せっかくのアフリカです。いろいろと楽しみました。

「なるほど!ザ・ワールド」でしか見ることのなかった部族の村を訪問したり、サファリラリーを観戦したり…。

もちろん初めて体験することばかりですから、興奮の連続です。そんな刺激が忍耐強く任務を進めるためのエネルギーになっていたように思います。

あっという間の3年間。仕事以外にもアフリカを満喫

アフリカで見た夢、それが小川工務店の原点です。

アフリカで見た夢、それが小川工務店の原点です。

なかでも一番印象に残っているのが、国立公園のサファリツアー。果てしなく続くアフリカの大きな大きな大地に暮らすのは、テレビや図鑑で見たそのままの野生動物。そこで私はこの星の大きさ、偉大さを肌で感じるとともに、自然を顧みなくなった私たちの暮らしへの反省をしたものでした。

そんななか10数頭の群れをなすゾウに出会いました。ゾウの親子は大自然に決して逆らわず、常に寄り添い、助け合いながら暮らしています。そこには大きな愛とともに生きる力を育みながら生きていく、そんな本来の親子のあり方のようなものを感じたのです。

そして私は日本に戻ったら「家づくり」を通じて、たくさんの家族の愛を育むお手伝いをする、愛があふれる家をつくる、そう決意しました。そのことが小川工務店の家づくりの原点となっています。

あのときの決意を今後も忘れることなく、地域の皆さまのお役に立ちたい。そう思いながら今日も仕事に取り組んでいます。